世界聖公会共同体は38の地域管区で構成されているが、同性愛を罪と考える「正統派」が多い。米聖公会の中でバージニア州のフォールズ教会とトゥルーロ教会、テキサス州プラノのキリスト教会は、聖公会脱退をほのめかしている。3教会の毎日曜礼拝(聖餐式)出席者の合計は、ショリ総裁主教が2001年以来主教の職にあったネバダ教区の全信徒数をしのいでいる。
6月28日、バージニア州フェアファックスのトゥルーロ教会マーティン・ミンズ司祭がナイジェリア聖公会によってbishopに任命された。ミンズbishopは北米各地のナイジェリア移民の多い20教会などで構成される北米アングリカン主教会を監督すると見られている。ミンズ氏はナイジェリアのピーター・アキノラ大主教と親しいが、同大主教はロビンソンbishop叙階を「神の教会への悪魔的な攻撃」になぞらえている。
ただナイジェリア教会のbishop
としてのミンズ司祭選出が「聖公会の管区独立という伝統的、正統理解への侮辱」であり、ミンズ氏がナイジェリア聖公会のbishopとしての役目を果たす一方でトルロー教会牧師のままで残るというアキノラ大bishopの主張を受け入れることは不可能だ、との批判もある。
昨年、アキノラ大bishopは「ナイジェリア教会の意図は米国やカナダの教会組織の問題に介入しようというのではなく、自らの教会には魂のやすらぐ場所がなくなった人たちに安息場所を提供しようというものだ」と指摘した。しかしナイジェリア聖公会は7月4日、米国教会を「癌の塊」と呼び、世界聖公会共同体から排除すべきだ、との声明を発表している。
一方でショリ総裁bishop選出を称賛する向きもある。ノーベル平和賞受賞者、南アフリカのデズモンド・ツツ引退大主教はニューヨークのトリニティ教会でのインタビューで、宣教の場への女性進出を「ぞくぞくするほど素晴らしい。深く感謝する」と語り、聖公会共同体内で進められている和解への努力に影響するか尋ねられると、「この特別の贈り物を世界に与えたいと思うとなぜ言えないのか。私たちに違いはあるが、それがどうした」と述べた。
総会決定に対し、意見の異なる教区や教会が離脱出来るのか、米聖公会コミュニケーション担当のジャン・ナンリー氏は、公式に「離脱」することは出来ないと言う。「小教区(各個教会)は教区によって創設される、教区は総会によって創設される。個人が離脱するのは自由だが、教区や小教区は聖公会の中に存続し続ける」と語った。
同氏は、聖公会当局が教区bishopが空席であると宣言出来、そして総裁bishopが新bishopの選挙を指示することになる、と言う。
2008年9月28日日曜日
2008年9月24日水曜日
FX
むかしむかし、あるところに、とても力持ちのおじいさんがいました。
お寺のつりがねを一人で持ちあげたり、米だわらを何びょうもかついで歩く事ができました。
それにすもうがたいへん強く、村の若者たちが一度に五人とびかかっても、たちまち投げとばされてしまいます。
ある時、このおじいさんのうわさを聞いて、本物の sumo wrestlerがやって来ました。
「この村に、すもうの強いじいさんがおるそうじゃが」
sumo wrestlerは、田んぼでウシをつかっていたおじいさんにたずねました。
「はい、まだだれにも負けた事のないじいさんがいますよ」
「なに、だれにも負けた事がないだと。じいさんのくせしてなまいきだ。わしがひねりつぶしてやる」
sumo wrestlerは、太いうでをブンブンとふりまわしました。
「ところでじいさん、そのじいさんの家はどこだ?」
「はい、はい。今教えてあげますから、ちょっと待ってくださいよ」
おじいさんはウシの後ろについている、大きな土ほり道具をはずしました。
そして、いきなりウシをかつぎあげると、ヒョイと田んぼの外へ出したのです。
sumo wrestlerは、ビックリです。
それからおじいさんは、一人ではとても持ちあげられない土ほり道具を片手でつかむと、まるでぼう切れみたいにふって言いました。
「ほれ、あそこに木が三本見えるでしょ。その横に立っているわら屋根がじいさんの家です」
それを見て、sumo wrestlerはきゅうにこわくなりました。
「そ、そのじいさん、そんなにすもうが強いのか」
「さあ、いくら強いと言っても、本物のsumo wrestlerに勝てるかどうか、やってみなくちゃわかりませんよ」
sumo wrestlerは、すっかり弱気になって、
「で、でも、じいさんは家にいるかな。せっかく行っても、いないとガッカリするから、また来ることにするよ」
するとおじいさんは、ニッコリ笑って、
「だいじょうぶ。そのじいさんなら、ここにいますよ」
と、自分の顔を指さしました。
そのとたん、sumo wrestlerはふるえだして、あわてて逃げていったという事です。
お寺のつりがねを一人で持ちあげたり、米だわらを何びょうもかついで歩く事ができました。
それにすもうがたいへん強く、村の若者たちが一度に五人とびかかっても、たちまち投げとばされてしまいます。
ある時、このおじいさんのうわさを聞いて、本物の sumo wrestlerがやって来ました。
「この村に、すもうの強いじいさんがおるそうじゃが」
sumo wrestlerは、田んぼでウシをつかっていたおじいさんにたずねました。
「はい、まだだれにも負けた事のないじいさんがいますよ」
「なに、だれにも負けた事がないだと。じいさんのくせしてなまいきだ。わしがひねりつぶしてやる」
sumo wrestlerは、太いうでをブンブンとふりまわしました。
「ところでじいさん、そのじいさんの家はどこだ?」
「はい、はい。今教えてあげますから、ちょっと待ってくださいよ」
おじいさんはウシの後ろについている、大きな土ほり道具をはずしました。
そして、いきなりウシをかつぎあげると、ヒョイと田んぼの外へ出したのです。
sumo wrestlerは、ビックリです。
それからおじいさんは、一人ではとても持ちあげられない土ほり道具を片手でつかむと、まるでぼう切れみたいにふって言いました。
「ほれ、あそこに木が三本見えるでしょ。その横に立っているわら屋根がじいさんの家です」
それを見て、sumo wrestlerはきゅうにこわくなりました。
「そ、そのじいさん、そんなにすもうが強いのか」
「さあ、いくら強いと言っても、本物のsumo wrestlerに勝てるかどうか、やってみなくちゃわかりませんよ」
sumo wrestlerは、すっかり弱気になって、
「で、でも、じいさんは家にいるかな。せっかく行っても、いないとガッカリするから、また来ることにするよ」
するとおじいさんは、ニッコリ笑って、
「だいじょうぶ。そのじいさんなら、ここにいますよ」
と、自分の顔を指さしました。
そのとたん、sumo wrestlerはふるえだして、あわてて逃げていったという事です。
2008年9月18日木曜日
FX
むかしむかし、紀伊の国(きいのくに→和歌山県)の山寺に、えらいお坊さんがいました。
里の人たちは、このお坊さんを「紀伊菩薩(きいぼさつ)」とよんでいました。
ある年の事。
一人の若者がこの菩薩さまに、弟子入りを願い出ました。
この弟子は大変よく働きますし、すこしでも時間があれば、いつもお経をよんでいました。
そして何年もお経をよむうちに、このお坊さんの声はとても美しい声となって、里では評判でした。
ある日、この若い坊さんは、師の菩薩にいいました。
「私はこれから諸国(しょこく)を行脚(あんぎゃ→各地を歩いて修行すること)して、仏の教えをひろめとうございます」
「それは感心な事じゃ」
師の菩薩も、この若い弟子を心からほめて、寺から送り出したのです。
さて、それから三年の月日がながれたころ、熊野の村に、船大工(ふなだいく→船作りの人)たちがやってきました。
この人たちは木を切って船をつくろうと、山の中に小屋を建てて、そこで仕事を始めたのです。
するとどこからともなく、お経を読む声が聞こえてきました。
その声は、少しも休むことなく聞こえてくるのです。
「はてさて、なんと美しい、おごそかな声じゃろう」
「こんな山の中で、ああも一心にお経をよんでおられるとは、とてもすばらしいお方にちがいない」
「ぜひ、お目にかかりたいものじゃ」
と、みんなはおそなえものを持って、山の中をさがして歩きました。
ところが一日中さがしても、その姿は見ることが出来ませんでした。
ガッカリして小屋に帰って来ると、またどこからともなく、お経が聞こえてくるのです。
船大工たちは、それから何度も山中を探しましたが、いっこうに姿を見つけることは出来ません。
それから半年ほどたって、船大工たちは、また山ヘ入っていきました。
すると前と同じように、お経を読む声が聞こえてくるのです。
「どうも、これは不思議なことじゃ」
「なにか、わけがあるにちがいない」
と、またみんなで、山の中をさがして歩きました。
今度も声をたよりに歩きましたが、なかなか見つかりません。
「もしかしたら、riverの流れの音が岩山にぶつかって、お経のように聞こえてくるのでは?」
「いや、あれはたしかに、お経をよまれるお坊さんの声にちがいない」
なおも探していると、一行はけわしい岩山に出ました。
「おや? あれは、なんじゃ?」
一人の男が指さした方を見てみると、谷底のしげみの間に、なにか白いものがあります。
谷ヘおりてそばによってみると、なんとそれはskeletonでした。
死んでから何年もたっているとみえて、もう、白い骨が残っているだけです。
盗賊に身ぐるみはがれてここへすてられたのか、それとも、オオカミにでもおそわれたのか。
「ああ、気の毒な事じゃ」
と、みんなで手を合せると、なんとそのskeletonが、大きな声でお経をあげはじめたのです。
船大工たちはビックリすると、あわててその場から逃げ帰りました。
それから三年後、船大工の一人が山寺にたちよって、紀伊菩薩にこの話しをしました。
すると菩薩は、しばらく考えていましたが、
「その仏さまをひきとって、手あつくほうむってあげたいのう」
と、さっそく熊野の山ヘ出かけたのです。
そして菩薩が船大工の小屋のそばヘきた時、菩薩は首をかしげました。
「おお、確かに聞こえる。しかし、この声には聞き覚えが・・・。そうじゃ! この声はわしの寺におって修業の旅に出た、あの弟子の声にちがいない」
菩薩は案内されて谷底へいってみると、そこにはskeletonはありませんでした。
ただ、skull
が一つ、ゴロンところがっています。
そしてそのskullの口の中から、あのお経が聞こえてくるのです。
紀伊菩薩も一緒にお経をとなえながら、skullの口の中をのぞいてみました。
すると不思議な事に、skullの口の中には舌(した)だけがくさらずにまだ残っていて、その舌が動いて、一心にお経をとなえていたという事です。
里の人たちは、このお坊さんを「紀伊菩薩(きいぼさつ)」とよんでいました。
ある年の事。
一人の若者がこの菩薩さまに、弟子入りを願い出ました。
この弟子は大変よく働きますし、すこしでも時間があれば、いつもお経をよんでいました。
そして何年もお経をよむうちに、このお坊さんの声はとても美しい声となって、里では評判でした。
ある日、この若い坊さんは、師の菩薩にいいました。
「私はこれから諸国(しょこく)を行脚(あんぎゃ→各地を歩いて修行すること)して、仏の教えをひろめとうございます」
「それは感心な事じゃ」
師の菩薩も、この若い弟子を心からほめて、寺から送り出したのです。
さて、それから三年の月日がながれたころ、熊野の村に、船大工(ふなだいく→船作りの人)たちがやってきました。
この人たちは木を切って船をつくろうと、山の中に小屋を建てて、そこで仕事を始めたのです。
するとどこからともなく、お経を読む声が聞こえてきました。
その声は、少しも休むことなく聞こえてくるのです。
「はてさて、なんと美しい、おごそかな声じゃろう」
「こんな山の中で、ああも一心にお経をよんでおられるとは、とてもすばらしいお方にちがいない」
「ぜひ、お目にかかりたいものじゃ」
と、みんなはおそなえものを持って、山の中をさがして歩きました。
ところが一日中さがしても、その姿は見ることが出来ませんでした。
ガッカリして小屋に帰って来ると、またどこからともなく、お経が聞こえてくるのです。
船大工たちは、それから何度も山中を探しましたが、いっこうに姿を見つけることは出来ません。
それから半年ほどたって、船大工たちは、また山ヘ入っていきました。
すると前と同じように、お経を読む声が聞こえてくるのです。
「どうも、これは不思議なことじゃ」
「なにか、わけがあるにちがいない」
と、またみんなで、山の中をさがして歩きました。
今度も声をたよりに歩きましたが、なかなか見つかりません。
「もしかしたら、riverの流れの音が岩山にぶつかって、お経のように聞こえてくるのでは?」
「いや、あれはたしかに、お経をよまれるお坊さんの声にちがいない」
なおも探していると、一行はけわしい岩山に出ました。
「おや? あれは、なんじゃ?」
一人の男が指さした方を見てみると、谷底のしげみの間に、なにか白いものがあります。
谷ヘおりてそばによってみると、なんとそれはskeletonでした。
死んでから何年もたっているとみえて、もう、白い骨が残っているだけです。
盗賊に身ぐるみはがれてここへすてられたのか、それとも、オオカミにでもおそわれたのか。
「ああ、気の毒な事じゃ」
と、みんなで手を合せると、なんとそのskeletonが、大きな声でお経をあげはじめたのです。
船大工たちはビックリすると、あわててその場から逃げ帰りました。
それから三年後、船大工の一人が山寺にたちよって、紀伊菩薩にこの話しをしました。
すると菩薩は、しばらく考えていましたが、
「その仏さまをひきとって、手あつくほうむってあげたいのう」
と、さっそく熊野の山ヘ出かけたのです。
そして菩薩が船大工の小屋のそばヘきた時、菩薩は首をかしげました。
「おお、確かに聞こえる。しかし、この声には聞き覚えが・・・。そうじゃ! この声はわしの寺におって修業の旅に出た、あの弟子の声にちがいない」
菩薩は案内されて谷底へいってみると、そこにはskeletonはありませんでした。
ただ、skull
が一つ、ゴロンところがっています。
そしてそのskullの口の中から、あのお経が聞こえてくるのです。
紀伊菩薩も一緒にお経をとなえながら、skullの口の中をのぞいてみました。
すると不思議な事に、skullの口の中には舌(した)だけがくさらずにまだ残っていて、その舌が動いて、一心にお経をとなえていたという事です。
2008年9月11日木曜日
FX
N8 は Nederblakel ネダーブラッケル 迄続く道だが、Bruxelles を起点とする街道名は
Chausse de Ninove ショセードゥ ニノヴ である。これは、国道246号線の都心部分を『青山通り』と呼ぶのに似ている。その街道の終点"Ninove"には Brouwerij Slaghmuylder ブラウウェレイ スラッグミュイルダー と言うbreweryが在る。"Witkap ウイットゥ カップ"銘柄名で有名なそこは、派手さは無い寧ろ地味な印象のbreweryであるが、訪れてみて驚いた。
ここは古い歴史を誇るが、それは先ず通された展示場、兼試飲室に置いてある良く手入れされ、今は現役でないドンキーエンジン=蒸気エンジンでも分かる。しかし、更なる重要な驚きは、その造り方の丁寧さである。ホール・ホップ(毬花)に拘り、品質保持に拘る。多くの、評価の高いビアカフェに、"WitKap"が在庫してあるのが、いかに信頼と支持を受けているかの明かしである。brewery名は『風車の内側を削る人』の意であるとの事、銘柄名は聖職者の『白頭巾』の意である。元々、修道院であった所に、このbreweryは建てられた。敷地の境界壁に、その名残を留めている。故に修道院ビールの様なネーミングであり、ダブル或はトリプルと言う修道院の製法を踏襲している。事実、修道院(多分この地に在った。)にライセンス生産を打診したそうだ。しかし、その修道院の担当者はロイヤリティーの話しばかりで、生産及び宣伝広告には関心を示さず、非協力的であったそうだ。以来、このbreweryのオーナー3兄弟は敬虔なカトリック信者でありながら教会に行っていないそうだ。故に製品名が具体的でないモノとなった。
ドンキーエンジンを触りながら、それに別れを惜しみながら、次のフィルム室へ向かい、brewery及び製品の解説フィルムを見た。寒い日で、氷点下だったと思う、映写機の放熱が見て取れた。そのフィルムでの解説では、"Witkap Dubbele Pater" を”ウイットゥカップ ドゥブル パター”と発音している。少なくとも、小生の耳にはそう聞こえた。フィルムを見終わって、オーナー兄弟の一人にこれを正すと、『イエス、・・・パーテル』との応え。小生が、「フィルムでは、パターと言っていた。」と繰り返しても、長身の彼は、『イエス、・・・・パーテル』。どっちでもいいのだ。
細かい事を言っている、黄色い寸足らずの小生を”コダワリン星から来たチーコリン”位に思ったであろう。
Chausse de Ninove ショセードゥ ニノヴ である。これは、国道246号線の都心部分を『青山通り』と呼ぶのに似ている。その街道の終点"Ninove"には Brouwerij Slaghmuylder ブラウウェレイ スラッグミュイルダー と言うbreweryが在る。"Witkap ウイットゥ カップ"銘柄名で有名なそこは、派手さは無い寧ろ地味な印象のbreweryであるが、訪れてみて驚いた。
ここは古い歴史を誇るが、それは先ず通された展示場、兼試飲室に置いてある良く手入れされ、今は現役でないドンキーエンジン=蒸気エンジンでも分かる。しかし、更なる重要な驚きは、その造り方の丁寧さである。ホール・ホップ(毬花)に拘り、品質保持に拘る。多くの、評価の高いビアカフェに、"WitKap"が在庫してあるのが、いかに信頼と支持を受けているかの明かしである。brewery名は『風車の内側を削る人』の意であるとの事、銘柄名は聖職者の『白頭巾』の意である。元々、修道院であった所に、このbreweryは建てられた。敷地の境界壁に、その名残を留めている。故に修道院ビールの様なネーミングであり、ダブル或はトリプルと言う修道院の製法を踏襲している。事実、修道院(多分この地に在った。)にライセンス生産を打診したそうだ。しかし、その修道院の担当者はロイヤリティーの話しばかりで、生産及び宣伝広告には関心を示さず、非協力的であったそうだ。以来、このbreweryのオーナー3兄弟は敬虔なカトリック信者でありながら教会に行っていないそうだ。故に製品名が具体的でないモノとなった。
ドンキーエンジンを触りながら、それに別れを惜しみながら、次のフィルム室へ向かい、brewery及び製品の解説フィルムを見た。寒い日で、氷点下だったと思う、映写機の放熱が見て取れた。そのフィルムでの解説では、"Witkap Dubbele Pater" を”ウイットゥカップ ドゥブル パター”と発音している。少なくとも、小生の耳にはそう聞こえた。フィルムを見終わって、オーナー兄弟の一人にこれを正すと、『イエス、・・・パーテル』との応え。小生が、「フィルムでは、パターと言っていた。」と繰り返しても、長身の彼は、『イエス、・・・・パーテル』。どっちでもいいのだ。
細かい事を言っている、黄色い寸足らずの小生を”コダワリン星から来たチーコリン”位に思ったであろう。
2008年9月6日土曜日
FX
最近僕は日々を楽しんでいる。
夜寝るまでの時間、朝起きてからdoorを開けるまでの50分。
電車。
会社に着くとイザベルが笑顔で迎えてくれるし、大好きな友人とランチに行ったり、1年経ってもまだ毎日新しく覚えることがあるworkにまじめに取り組み、あるいは「忙殺」な感じが漂ったときにはサボってほかの階に行ったり。
workが終わると必ずプールで泳ぐ。
ジムでも友達に会う。
家に帰って夕飯を作り、恋人が帰ってくるまでに時間があればWiiFitでヨガをすることもある。
そうやって一日は過ぎていく。
それが5回繰り返されると週末になり、週末が4回繰り返されると新しい月が来る。
先週の土曜日、yasuとharunaさんと西麻布のクラブに行った。
takuyaにも会ってハグしてもらい、僕はテキーラを3杯飲んで気づいたら5時間踊っていた。
僕のhappyは安上がりで経済的だ。
あの瞬間僕が集められたいいエネルギーはどこから来るのだろう。
ああ、でも僕は同情する。悪いエネルギーをためてしまった人たちは、どうしてそうなってしまったのだろう。その人たちはもう去ってしまいそうだけれど。
PCの中に詰まったpolluted sedimentを誰かが見るだろう。
その人は僕と同じように「なぜ?」と悲しく思うのだろうか?
それとも淡々と職務を遂行するのだろうか。
夜寝るまでの時間、朝起きてからdoorを開けるまでの50分。
電車。
会社に着くとイザベルが笑顔で迎えてくれるし、大好きな友人とランチに行ったり、1年経ってもまだ毎日新しく覚えることがあるworkにまじめに取り組み、あるいは「忙殺」な感じが漂ったときにはサボってほかの階に行ったり。
workが終わると必ずプールで泳ぐ。
ジムでも友達に会う。
家に帰って夕飯を作り、恋人が帰ってくるまでに時間があればWiiFitでヨガをすることもある。
そうやって一日は過ぎていく。
それが5回繰り返されると週末になり、週末が4回繰り返されると新しい月が来る。
先週の土曜日、yasuとharunaさんと西麻布のクラブに行った。
takuyaにも会ってハグしてもらい、僕はテキーラを3杯飲んで気づいたら5時間踊っていた。
僕のhappyは安上がりで経済的だ。
あの瞬間僕が集められたいいエネルギーはどこから来るのだろう。
ああ、でも僕は同情する。悪いエネルギーをためてしまった人たちは、どうしてそうなってしまったのだろう。その人たちはもう去ってしまいそうだけれど。
PCの中に詰まったpolluted sedimentを誰かが見るだろう。
その人は僕と同じように「なぜ?」と悲しく思うのだろうか?
それとも淡々と職務を遂行するのだろうか。
2008年9月2日火曜日
FX
高い技術力を持っているのに、あと少しの山をなかなか越えられないplayer がいる。そんなplayer は、人にふりまわされ、つぶされていることが多い。いくらすばらしい力があっても、人間としての土台がしっかりできていなければ、本来の力を発揮することがかなわないのだ。
インターハイの優勝経験があろうが、なかろうが、日本記録を持っていようが、いまいが、社会人になるときのスタートは同じである。指導者はスター選手でも補欠でも、人として必要なことは徹底して教え込まなくてはならない。個性を尊重するなどとplayer におもねて、叱るべきときに叱ってやらないと、ただの競技バカになってしまう。環境をどれだけ整備しても、そこに心がなければ人は育たない。そのときはplayer に反発されたとしても、あとできっとわかるときがくると信じて、嫌われることを怖れずに向き合うのが、指導者の役目ではないだろうか。
世界一をめざしていても、どの競技も毎日は単調で地味な練習の繰り返しのはずだ。毎日を新鮮に感じて意欲的に取り組むには、単調なことを楽しめるよう、player に“習慣”をつけてやればいい。
日本代表player を預かったときは、代表player にふさわしい態度について、player に考えさせ、何度もレポートを提出させた。そんな抽象的なことを聞かれても、若い選手は何を書いていいのか頭を抱えてしまう。それでも考えさせる。そしてplayer の態度が少しずつ変わっていくのだ。
ソフトボールは、連係プレーの競技だから、日常から次の人のことを考えて行動できなければ、試合でいきなりいい連係などできやしない。だから、あいさつ、礼儀、気配りができる人間にしつけるのは、勝てるチームをつくるときの重要な練習の一つだと私は思っている。
最初はうるさく思われても、player もそれが人としてあたりまえのことだとわかれば、あとはほおっておいても、自然と身につけていく。できないplayer は続かない。競技生活をしっかり送り、全力でプレーして引退を迎えた選手は、皆、この狭い競技世界を出ても、胸を張って一般社会で生きていけるように育っている。
時代が変わり、player に求められるものも変わってきた。たとえばメディアの取材に対しても、player はそれなりのコミュニケーション能力をつけておかないと恥をかく。ふだんから、新聞や本を読み、人と話をして、会話が成り立つだけの一般常識や教養もほしいところだ。
もっとも、player があまりに競技以外のことに一所懸命だと、「本業をおろそかにしてるんじゃないかっ」と雷を落としてしまうこともある。指導者だって人間。矛盾しているところもあるのだ。
優等生になんかならなくていい。やんちゃでも、人に対して誠実に向き合い、自分を支えてくれる人に感謝の気持ちを忘れず、やるべきことをちゃんとやっているplayer は、最後に人に助けられる。
インターハイの優勝経験があろうが、なかろうが、日本記録を持っていようが、いまいが、社会人になるときのスタートは同じである。指導者はスター選手でも補欠でも、人として必要なことは徹底して教え込まなくてはならない。個性を尊重するなどとplayer におもねて、叱るべきときに叱ってやらないと、ただの競技バカになってしまう。環境をどれだけ整備しても、そこに心がなければ人は育たない。そのときはplayer に反発されたとしても、あとできっとわかるときがくると信じて、嫌われることを怖れずに向き合うのが、指導者の役目ではないだろうか。
世界一をめざしていても、どの競技も毎日は単調で地味な練習の繰り返しのはずだ。毎日を新鮮に感じて意欲的に取り組むには、単調なことを楽しめるよう、player に“習慣”をつけてやればいい。
日本代表player を預かったときは、代表player にふさわしい態度について、player に考えさせ、何度もレポートを提出させた。そんな抽象的なことを聞かれても、若い選手は何を書いていいのか頭を抱えてしまう。それでも考えさせる。そしてplayer の態度が少しずつ変わっていくのだ。
ソフトボールは、連係プレーの競技だから、日常から次の人のことを考えて行動できなければ、試合でいきなりいい連係などできやしない。だから、あいさつ、礼儀、気配りができる人間にしつけるのは、勝てるチームをつくるときの重要な練習の一つだと私は思っている。
最初はうるさく思われても、player もそれが人としてあたりまえのことだとわかれば、あとはほおっておいても、自然と身につけていく。できないplayer は続かない。競技生活をしっかり送り、全力でプレーして引退を迎えた選手は、皆、この狭い競技世界を出ても、胸を張って一般社会で生きていけるように育っている。
時代が変わり、player に求められるものも変わってきた。たとえばメディアの取材に対しても、player はそれなりのコミュニケーション能力をつけておかないと恥をかく。ふだんから、新聞や本を読み、人と話をして、会話が成り立つだけの一般常識や教養もほしいところだ。
もっとも、player があまりに競技以外のことに一所懸命だと、「本業をおろそかにしてるんじゃないかっ」と雷を落としてしまうこともある。指導者だって人間。矛盾しているところもあるのだ。
優等生になんかならなくていい。やんちゃでも、人に対して誠実に向き合い、自分を支えてくれる人に感謝の気持ちを忘れず、やるべきことをちゃんとやっているplayer は、最後に人に助けられる。
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